(本メッセージは、2021年5月22日 ラジオ「福音の光」で放送されたメッセージの抜粋、改訂バージョンです。)
あなたの人生の目的は何ですか。かつては、いい大学にはいって、いい企業に就職して、お金を儲ける、などというのが、最善の生き方だと思われていました。私もそのように思っていた時期もありました。それでは、実際にそのようになり、お金をたくさん儲けるようになったら、あなたの「人生の目的」はそれで終わりでしょうか。あるいは逆に、これらのことが何一つうまくいかないということであれば、あなたの人生の目的は失われるということでしょうか。何か自分が定めていた目標が達成されたら、あなたの人生の目的も終わるのでしょうか。
あなたは自分のために生きていますか、それとも他人のために生きていますか。あなたが自分のために生きているなら、自分が健やかで物事がうまくいっていたら、それでいいでしょう。しかしもし、あなたが誰かに頼って生きていかなければならない健康状態になったら、あなたはどうするでしょう。また他人のために生きているなら、その人があなたの側にいる時には平安でしょう。しかしあなたの前からその人が消えたら、あなたは人生の目的を失うのでしょうか。例えば愛する人と死別したら、あなたは、ただ途方にくれて一生を過ごさなければならないのでしょうか。
ただ、自分のためではなく、他人のためだけでもない生き方があるとすればどうでしょう。教会は、まことの神さまのために生きるということをしばし語っています。神さまは永遠なるお方です。もし、永遠なるお方のために生きる望みがあれば、私たちの望みも永遠に続くのではないでしょうか。そういういつまでも尽きることのない望みを、イエス・キリストは私たちにくださいます。どうやって、その尽きることのない望みを、いただくことができるのでしょうか。その鍵は、イエス・キリストにあります。
イエス・キリストは、私たちに永遠のいのちを与えるために、ご自身のいのちを差し出されました。どうして、イエスは、私たちのために死ななければならなかったのでしょう。それは私たちの罪のためです。罪とは、まことの神さまから目を背け、まことの神さま以外のものを神としてしまうことです。ただ、それは犯罪行為に及ばなければよいということではありません。私たちの心の中に渦巻く人に対する嫉妬、敵対心、無関心、それらは神の御前に喜ばれない、りっぱな「罪」です。
私たちは、それらを心に秘めていたら、永遠のいのちに預かることはできません。永遠のいのちに心を留めていない人たちが多いですが、神のことばである聖書によると、人は例外なく永遠のいのちに預かる人と、永遠の滅びを味わわなければならない人たちとに分かれると示されています。もし、永遠の滅びに行ってしまうとなると、それこそ、人生の目的をどれほど崇高なものに打ち立てて、しかもそれを果たしたとしても、それは無駄に終わってしまいます。イエスは言われます。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」
人生を本当の意味で有意義で意味のあるものとするためには、永遠のいのちに預かる必要があるのです。そうするためには、まず、イエス・キリストのもとに来ることが大切なのです。イエス・キリストは私たちの罪のために十字架に架かってくださり、永遠のいのちを保証するために、三日目によみがえられました。そして今も生きておられます。私たちに永遠のいのちを与えるためです。イエス・キリストを信じることによって、私たちは人生の本当の目的を見ることができるのです。あなたもこのイエス・キリストのもとに来てみませんか。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」 イエス・キリストのことば
(ヨハネの福音書14章6節)